ネットで見つけた宇土に関連する皆様をご紹介致します
お名前 | どんな方でしょうか? |
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上羽勝衛 | 宇土市出身 教育者・行政官・実業家 天保一四年(一八四三)四月四日、宇土郡宇土町で宇土細川藩士の家に生まれた。県ホームページ 上羽勝衛(くまもとの偉人) |
寺尾勝信 | 宮本武蔵の高弟、、『五輪書』を相伝..。武蔵熊本ゆかりの地 松山町の五色山に墓碑あり。享年60歳 辞世歌「露とをきつゆときえにしわか身かな何はの事は夢の又ゆめ」 小西行長が朝鮮出兵の折、宇土城留守居の寺尾孫四郎の子、寺尾佐助の次男。ちなみに、佐助は天草島原の乱の折、命により宇土江部の天草四郎の母ら親族を熊本から捕縛に遣わされている。 |
関矢健二 | ようこそ 関矢 健二 world へ 宇土市本町5丁目出身、(旧姓、福永) 日本酒プロジューサー称す。日本酒を愛する消費者の視点からの酒造りを提唱、数々のオリジナルブランドを送り出す。 残念ながら2006年1月24日ご逝去なされました、享年60歳。 |
嘉悦孝子 | 宇土市出身者ではありませんが、知っておきたい方です。 明治・大正・昭和三代を生きた女流教育家 嘉悦孝子伝 肥後の異風者伝 宇土に赴任す 嘉悦大学 |
源了圓 | 日本思想史研究の大家 熊本の偉人 |
篠原温亭 | しのはら おんてい 宇土郡宇土町に生まれる。 1872(明治 5.11. 1)〜1926. 9. 2(大正15) ◇俳人・小説家。本名は英喜、初号は松濤・(「穀」の「禾」を「鳥」に替える)音・家巣。温亭は本名英喜。京都の本願寺文学寮に学び、その後上京して国民新聞に勤め、社会部長を務めた。俳句は明治30年頃から高浜虚子に学び、俳号は最初、松濤・家巣を用いたが、大正以後は温亭と改める。国民俳壇の句会を指導し、その句会は青山会館で催されたので、青山会と呼ばれた。 著書は随筆集「その後」(大正13)他、 小説「不知火」(明35)「昔の宿」などがある。 没後、弟子の島田青峰によって「温亭句集」(昭和2)が編まれた。 独り焼く目刺や切に打返し 圃に立てば四辺に起こる秋の風 風の日の蟷螂肩に来てとまる |